森山良子さんが、「この広い野原いっぱい」でデビューしてから、50年。そして、いまでは森山さんの代表曲「さとうきび畑」も誕生して50年になる。同じ歳月を歩んできた。
森山さんがデビューした頃は、アメリカフォークのコピーが流行ってた時代だ。ギターソロの森山さんは、ジョーン・バエズのコピーを歌い、人気を博していた。ただ歌っているだけで楽しかった。そんな時、たまたま近所に住んでいた寺島尚彦さんに「さとうきび畑を歌ってみないか」と勧められた。
寺島さんは、1964年、摩文仁の丘のさとうきび畑で、足元に戦没者の遺骨が埋まったままと聞き衝撃を受けた。その時、一陣の強い風が吹き、さとうきびの葉が揺れた。それが戦没者の哀しみの声に聞こえた。ざー、さわさわ、ざわざわ・・・1年あまり試行錯誤の末、「ざわわ」になった。何回も繰り返さないと哀しみは伝わらないと、結果66回になった。
だが、この66回の「ざわわ」が曲者なのだ。森山さんは「ざわわ」と歌い始めたとたん挫折感も始まった。こういう「ざわわ」ではない。もっと違う「ざわわ」があるはずだ。次の「ざわわ」で挽回しようとしても、空回り。次から次に待ち受ける「ざわわ」をどうこなし、どうかわすか。小手先ではダメなのだ。自分の歌唱の非力さを痛感させられた。
歌が長い。テーマが重い。戦争を知らない自分には歌えない、歌ってはいけない、とおそれを感じた。だが、レコード会社のプロデューサーに説得され、69年にレコード化した。だが、自分には歌う資格がないと、コンサートのセットリストから外していく。戦争を知らない自分はその1000分の1もうかがい知ることは出来ない。歌うことに自信が持てなかった。とても手に負える歌ではないと、しばし封印した。
長い葛藤を経て、歌う覚悟を決めたのは、91年の湾岸戦争のころ。母に言われた。『日本がこんな時期に、愛だの恋だの歌って、ちゃんちゃらおかしいわね。あなたには歌うべき歌があるじゃない』このひとことで、それまで逃げていたこの歌を歌う時が来たんだと決心し、再度歌い始めた。
歌い続けているうちに、少しずつ歌が近づいてきた。そして、友達が恋人のように身近になった。歌っていこうという自我が芽生えた。決意が生まれた。「大丈夫。肩の力を抜いたらいいんだよ」と曲がささやいた。
2001年、初めてこの曲のフルコーラスのシングルCDを出した。ニューヨークの貿易センタービルで世界を驚愕させたテロ事件が起きたこともあり、逡巡の末、発売に踏み切った。
沖縄でFMラジオの出演をした後に、FM局の玄関で待ち受けた同年配の地元の女性から「長い間、歌ってくれてありがとう」と言われ、安堵した。「私が歌ってきて良かったんだ。歌っていても良いんだ」と涙が止まらなかった。
以来、いまでは、「さとうきび畑」を歌うのはライフワークだ。 歌い継ぐのは、使命だと思っている。日々の営みに追われている私たちに、平和の尊さについて、10分もひたすら考える時間を与えてくれる曲だと、想いを込めて、66通りの「ざわわ」を歌っている。
森山さんは、今月27日、「森山良子オールリクエスト」という2枚組のアルバムを出す。50周年記念コンサートで、リクエストの多かった曲と、自薦の曲が収録されている。ライブ音源、オリジナル音源の中で、「さとうきび畑」だけが、ギター弾き語りの新録音となっている。10日放送の「日曜はがんばらない」では、その新録音音源を発売に先駆けて紹介する。
10月11日には、51年目に踏み出すコンサートが、
東京で開かれる。
もちろん、「さとうきび畑」も歌う。